terakoya edasan history >




学校5日制が施行された今、「地域の教育力」は健やかな子ども達の成長の為に必要欠くべからざる条件になっていると思う。38年間学校という組織の中で働いてきた私は痛切にそれを感じている。地域の住民になった今、一市民として社会に参加し、父母住民とともに教育の主権を行使していく事が、今までの教育活動への恩返しであると考え、退職した年から「寺子屋枝さん(悩み事相談所)」を開設した。寺子屋開設に当たってはネーミング、ポスター作り、運営内容や運営方法まで教え子達が関わってくれた。既にこの段階で私の「寺子屋」ではなく、「みんなで作る寺子屋」になっていた。

 86歳の老人介護をしながらの一主婦であり、毎週月曜日には往復8時間かけて大学の非常勤講師に出かければならない身なので想像したより時間は自由にならなかった。それでも月曜日を除いた6日間の中で時間をやり繰りしながら、凡そ50人の方とお会いする事が出来た。人数的には少数であるが“サリバン先生はたった一人の生徒を育て上げることに一生をかけたのだから人数ではない”と友人が助言してくれたのが私を支える力になっている。類型的ではあるが分類してみると
(資料1)のようになる。


(資料1)
来訪者(大人)数 来訪者(子ども)数
不登校相談 4
悩み事相談 9 20
学力補充 0 19
●不登校について
親と子ども10人の方から相談を受けた。その内、親のみの来訪者が6人、親子そろっての来訪が4人だった。親のみの来訪で登校するようになった子どもはいない。親子での来訪者は中学生が2人、高校生が2人いるが中学生のうち1人は完全に登校出来るようになり普通高校に進学した。もう一人は完全には登校できなかったが高校進学は出来た。高校生2人の内1人は退学し、もう一人は休学の後退学している。登校出来るようになるという視点で見ると現実はかなり厳しいものであり、非力を痛感する。高校に進学出来た女生徒がその高校の制服を着て挨拶にきてくれた時は思わず涙が出てきてしまった。ほぼ2年間半中学校には登校しなかったが、これで中学校卒業という保証がされたのである。「中学校は休んでも寺子屋は一日も休みませんでしたよ。」というお母さんのつぶやきが心に響いた。一人でも自立の手助けができたのなら「一隅を照らす」事になったのかなと思う。
(資料2)


(資料2)
不登校中学3年女生徒の母親より

「いつも時間を過ぎてまでお話ししてしまい、申し訳ありません。私にはあの、先生とT子と私で過ごせる時間がとても楽しみです。T子は私には言わない事も先生の前ではさらっと言う事があり、先生の器の大きさ、深さを感じます。(後略)」

こういう場の提供も地域の教育力の1つではないだろうか。そういう場を求めている子どもや大人が相当数いうからである。不登校の問題については関係機関、学校、地域の人たちとの連携も本人と家族の納得を得ながら行った。



●悩み相談について
不登校をめぐる相談を除く悩みについて記したい。

・親の悩み
子育てに限っての悩みだけでも相当に深く、幅広いものがある。お話しを伺うだけでも2時間くらいは直ぐに経過してしまうからである。子育ては学校と地域と家庭の力が必要だと言われるが、悩みを聞きながらそのどれもが非力になっていると感じる。
(資料3)


(資料3)
どんな悩みを抱え、どう話し合ったかはプライバシー保護の為書けないが子どもと直接関わっている(関わらざるを得ない)人が一番苦労したり、悩んだりしているのが現実である。離婚、リストラ、いじめ、貧困、病気、人間関係(家庭内、職場、地域)などが複雑に影響しあっているし、そのどれも解決口を見出せないばかりか、ひどくなり一方の状況の中での子育ては「お母さん、よく頑張っているねえ。」と思わず声が出るほどである。中には母がいないので祖母が2人の孫を幼児から中学、高校まで育てたのだが、今反抗、非行を繰り返しているので相談に来たと言う私より年上の女性もいた。彼女は話しながら自分で、今までを振り返りこれからの方向を見出していった。



・子供たちの悩み
10歳から23歳までの今を生きる子供たち、青年達の悩みもかなり深刻である。


紙面の都合上書き切れないが、彼らが語りだすと止まらないし時間を気にしないので少々困る事もあるが、語り終わった後の若者特有のさわやかさが何ともいえない。(資料5)は高校卒業後東京でアルバイトをしながら絵を描いている教え子が人生についてさまざま語った後、ノームチョムスキーのビデオを借りていったのだが、それを返す時に同封されていた手紙である。

又大学4年生になった教え子が卒業論文を「教育と政治」というテーマで書くと言い、我が家に長時間居座り、様々な情報を得て行った。そして私の拙書の「ダメな子なんて言わないで」
(資料6)をベースにそれを完成させAの評価をもらったと卒論を持って挨拶に来た。


(資料5)
20歳の青年より

「ありがとうございましたです。テレビの街頭インタビューなんか見ていますと、アメリカかなり病状が進行(ナショナリズム的病状ね)してんだなと思っておりました。でもやっぱり良かった。こういう言う人種が細々ながら生をつなぎ、マイケルムーア然り。其処にこんな多くの人が集い賛同している。民衆はバカだなんて上の方々はよく言うけれど、バカは言葉にならない空気に敏感なのよね。チョムスキーの本ちゃんと読んでみます。又お会いしましょう。」


(資料6)



{ダメな子なんて言わないで}著者 枝村泰代
・現場教師の悩み
切羽詰った切実な声が多い。「今学校に居るのだが、もう嫌になった。辞めたい。」と突然電話をかけてきた教師が居る。
(資料7)


(資料7)
大変真面目で生徒思いのやさしい人である。またベテランで力量もタップリある方がうつ病になり定年を待たずに「もう疲れた」と退職を希望して相談にみえた。いずれも中学校の教師である。私が職場にいた2年前も12時間労働がほぼ普通だったし、土曜日、日曜日出勤もあり、という状況ではあったが、創造的活動をしたいための、前向きな多忙さがあったので、乗り切れた。今はそういう自由さよりは「やらなければならない仕事」が終らないための多忙さがほとんどを占め、生徒や同僚と必要な話し合いをする時間もないという閉塞感、縛り感の多忙さである。これでは心身ともに障害が出るのが自然である。そういう職場になると若い教師が先輩教師から日常の教育活動で自然にいろいろなことを学び取ると言う現場ならではの学び合いも出来ないので、青年教師の相談も深刻になる。相談に来た青年教師は朝の会、帰りの会のやり方や給食当番や日直をどう自主活動として生かすか、生徒の心をつかむにはどうするか、授業規律の確立の仕方など具体的なことを熱心に質問し、ノートに書き込んでいた。2ヶ月に1度「学級づくり」をメインテーマにそれぞれレポートを持参して研究会を開こうと話し合った。教師が楽しくなければ生徒も学校に楽しくいけないはずである。

延べ2年間で約20人の「小学校5年生から高校3年生まで」が毎週定期的に学びに来ている。(小学生が英語を学ぶ事は異議があるのだが、私の教え子である姉が弟に、私の授業は楽しかったし、英語が好きになるから今のうちにやっておいた方がいいといったという理由で親共々来たので断れなくなってやっている。)学力差、年齢差は無論大きいが共通点もある。それは「きてよかった、わかった、楽しかった」ということを来る度に実感して明るい顔で帰宅していくことである。それを見ていると私も元気が出てくるから不思議である。「教えるとはともに希望を語る事、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」であると日々感じている。学びの楽しさが分かると学校に行けなくても、「寺子屋」には来れるし、やがてその力は登校という方向に進んでいくエネルギーになる。又学びの内容もその生徒の興味、関心にあったものを使い、生徒の理解度に合わせながら、「自分の可能性を広げる為に新しい学習をしよう」という視点で学習をすれば、どの生徒も生き生きと学びを楽しんでいる。そういう場になっているのが「寺子屋枝さん」の成果かもしれない。
(資料8)


(資料8)
高校3年女生徒より

「お久しぶりです。今日はすごくいい天気ですね。先生には受験の時、お世話になったので、お礼に私のおじいちゃんちのお茶を持ってきました。(中略)先生と話すの楽しかったし、受験勉強はきつかったけど、精神的に助かりました。先生と出会えて良かった!(後略)」

尾道に行ってきました。
林扶美子の記念碑の前で
来訪者の皆さんの「ここにきて話すと心が軽くなる。ここで話した事はどこでも聞いてもらえないから、ここに来ると癒される。」という言葉に「寺子屋枝さん(悩み事相談所)の存在意味を見出している。相談に来た中学1年生を持つお母さんが「親ではなく、中学生でもないが学校の事が良く分かっていて、相談できる大人が近くにいてほしいと思っていた。ここはそれにピッタリだ。英語はさておき中学はいろいろあると思うから、相談に乗ってほしいし、話し相手になってほしい。」とおっしゃった。そういう場でもあり続けたい。

「寺子屋」を私一人では担いきれなくなり、社会人になった教え子に英語学習をしてもらい始めた。悩み事、相談事も個人の力で解決できない事が多い。私のHPを開設し情報交換をしながら少しでも前向きに解決できるように努力している。地域の問題は住民と共に

考えあう場を作るなどネットワークの広げ方がこれからの課題である。

平成15年7月現在





copyright (C) 2002-2009 All rights reserved terakoya edasan