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1940年9月12日 台湾で生まれる、
この年第二次世界大戦はじまる
1945年 静岡県小笠郡千浜に引き上げ、4年間の居候生活をする戦争体験,戦後の食糧不足,惨めな居候生活、いじめられ体験などが戦争を憎み、平和教育を進める原点になっている。
(例えば銃で殺されそうになった事、ほぼ死人状態での引き上げ、お弁当の無いお昼休みなど)
学歴 池新田小学校・浜岡中学校・池新田高校・静岡大学教育学部4年課程卒業
枝村泰代
職歴 川崎中・青島中・藤枝中・大洲中・葉梨中・西益津中・広幡中に勤務

趣味 演劇をやったり鑑賞したりする、人形劇の脚本を創り、人形も作って、皆で演じる(大学時代、青年教師時代には出来たが後は鑑賞のみに終わっている)

映画鑑賞パンフレットはダンボールにいく箱もあり)

絵画鑑賞(これが嵩じてヨーロッパに出かけ始める)

音楽鑑賞(ジョンバエズ、ジョンデンバー、エアロスミス、ビートルズなどから始まって現代まで色々、シャンソンも結構好き、日本人では布施明、山上茂典)

自然観察指導員(名前だけ)

オカリナswimming,walking,tennis(下手な横好き)

私には2人の子どもがいます。長男は真樹で1966年生まれ(例のヒノエウマ)です。長女は真紀で1969年生まれです。育休が産前産後6週間と言う時代でしたので,1年間は母乳で育てようとし、トイレや保健室で、お乳を搾りました。土曜日ぐらいはお昼に母乳を挙げたいと急いで帰ると「あまり泣くのでミルクをやったよ。」と母が気を利かせてくれていましたがパンパンに張ったお乳を挙げられない悲しさが込み上げ曇りガラスに向かってお乳を搾りました。その跡が何年もついていたのが思いだされます。そんな生活でしたから子供達には寂しい思いをたくさんさせてしまいました。子どもが寝る前に絵本を読んであげ、寝息が聞こえるまで子守唄を歌ったことがせめてもの罪滅ぼしでした。子どもの心のひだに寄り添う事が出来なかった親でした。それが子供たちの人格形成や人生観に影響を与えていると思います。申し訳ない親です。特に娘の生まれた時は3年の担任でしたので、母乳をくれながら内申書を書くと言うとんでもない事をした母親でした。せめてもの救いはその時の生徒達が1年に2回必ず同窓会を開いてくれ、そのまとまりをベースに私の退職記念会を開いてくれた事です。2人の子ども達には本当に助けられました。この子どもがいたから今の私があると思います。「子どもは3歳までに一生分の親孝行をしてしまう」と言いますが本当にそうです。あのかわいさは永遠に親と子の絆になります。


38年間静岡県の藤枝市と言うところで中学校の英語教師をしました。新卒の時は担任をはずされました。理由を校長に聞きに行くと「女だから」と言う事でした。女は生まれた時からやっているので納得がいきませんでした。2年目もそういう利用なら担任にはなれないと思い校長先生の自宅まで直談判に行き、担任になりました。23歳、生徒達と共に熱い思いで教育にあたりたいと言う気持ちがそうさせたのだと思います。しかしその年父親が肺ガンの宣告を受けました。8月に東京の病院に入院し12月1日になくなりました。私が教師になるのを切望していた父でした。父も小学校の教師でしたが、師範学校行くお金がなく教員養成所と言うところを卒業しただけなので、それが理由で管理職にはなれませんでした。だから子どもの私には学士の資格をとって教師にさせたかったようです。私が在学している静岡大学教育学部に時々父が顔を見せ、ひと時を過ごしたのをいまでも思い出します。その父の看病をしたい思いと初めての担任を勝ち取ったのでしっかり生徒につきたいという思いが交錯しつらい1年間でした。

土曜日の授業が終わると直ぐ東京に向かい、日曜日の遅く下宿に戻ると言う生活をしました。若かったからできたことです。生徒達が落ち着かなくなり、「担任を降りたらどうだ」と言われたときはショックでした。でもやはり降りる決心はできませんでした。まとまりのない学級になり生徒達には申し訳ないことをしました。今年退職する年に今度は妹がガンで亡くなりました。6月に発病し3月30日、私の退職式の日になくなりました。その看病の為にやはり東京への往復をしました。母が84歳になり、そちらのほうも気がかりでした。父が58歳でなくなり、妹は54歳でした。退職の年(3年生)まで担任をやらせてもらいました。生徒と共に過ごしたいと言う新卒の時の思いは変わる事はありませんでしたので。今度は学級が荒れる事もなく、感動いっぱいの卒業式が出来ましたし、38年間の間の教え子達が120人集まり、生徒達の力で私の「退職を祝う会」をやってくれました。夫や2人の子ども達、そして2人の孫まで招待されました。その会は3月25日でした。24日、遅く東京から戻り、26日には迷った末、84歳の母を連れて東京へ行きました。戻りたくはなかったのですが、母が帰りたいと言うのと、退職式があると言う事で29日に帰ってきました。次の日に妹は亡くなりました。二次会の席に妹の夫から携帯に知らせがありました。そんな事も含め38年間の一つ一つを思い出すと感慨無量のものがあります。でもやはり管理職にならず生徒達と共に過ごした事は間違っていなかったと思います。父の希望ではありませんでしたが。生徒達から沢山の事を教えてもらいましたし、お家
の方々からも沢山学ばせてもらったからです。もちろん同僚からも。

そんな私がこれからの人生を充実させるには,お世話になった人達への感謝の気持ちを形にする事だとおもったのです。子育てに悩む親御さんや思春期の中で自分探しをしている中学生や高校生の力になれたらと思い「枝塾」を立ち上げました。生徒たちの希望とアイデアでもあります。また学力に伸び悩む生徒の援助も希望ならしたいと思います。





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