クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの旅



帰国して15時間しか経っていないのでクロアチアの鋭く削られた断崖と青く煌めくアドレア海が目に浮かんできます。しかし1991年からの戦争で同じ旧市街が壊滅状態になり、20年過ぎた今は復旧してはいますが、建物にも人の心にも傷痕を残しています。2008年からは経済が低迷し失業率は17.7%、格差も広がりを見せています。

ボスニア・ヘルツェゴビナは各宗教の施設が並びあい、多民族・他宗教が混じった魅力を感じることが出来ました。しかし1992年民族間の内戦が泥沼の戦争になり、1995年に和平協定が結ばれましたが、住居やバス停が宗教によって分けられているなど、民族間のわだかまりはまだ色濃く残っていることが感じられます。この戦争を体験した男性が「戦争は罪である。だがボスニアには軍隊がなかった。民間人が軍隊と戦ったのだ。自衛のためには軍隊は持つべきだ」と強調したのが、心に刺さりました。旅の仲間のひとりが「憲法9条は自衛のためにも持つべきではないとしている。だから70年も日本は戦争しないでこれたのだ。」と残念そうに話しました。集団的自衛権は論外として、自衛の為の軍隊の是非について時間の関係で深くは話せませんでしたが、重大な問題提起をされた思いでした。失業率は43.3%と高く、職探しでいっぱいだと29歳の男性は話していました。ボスニア内戦が題材のカンヌ国際映画祭で賞賛を集めた作品「ノー・マンズ・ランド」に「この戦争はだれが悪いんだ」と前線で兵士が敵兵に問いかけるシーンあります。それに対してこんな答えが返ってきます。「俺たちが悪い」と。これを全ての住民が自覚し、民族主義を捨てなければ闘争は終わりません。日本を含め、近頃民族主義の台頭が目立つので、現代の課題でもあります。

片道14時間の飛行機は辛いものがありましたが、行きは隣がドイツの青年でしたので、ドイツの原発に対する対応を賞賛すると、「ドイツも格差が広がっているが、他国ほどではない。経済状態がよいから。」とのことでした。帰りはトルコの青年でした。福島原発のことはよく知っていました。トルコも導入するとのことでしたので、「経済といのちとどちらが大切か考えよう」と話しました。第五福竜丸のことは何も知らなかったので、話すと驚いていました。2人ともドイツ訛り、トルコ訛りでしたが(私は日本語訛り)真摯な話しが出来ました。それぞれの訛りながらも自分の思いや意見を伝え合うことが、平和の流れを創るのだと思いました。英語はそのための武器でもあると。





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