サトウキビを使ってサトウきびジュースを作る2人の逞しい男性たち

キューバ紀行:No.1 :No.2 :No.3


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アメリカの干渉と社会主義の建設 革命後のキューバの歩み

写真説明:サトウキビを使ってサトウきびジュースを作る2人の逞しい男性たち

1959年キューバ革命を経て成立したフイデル・カストロ政権は直ちに国民への公約である社会改革に着手しました。文盲の一掃運動、医療の無料化、教育の無償化、公共施設の地域格差の是正、社会主義国との貿易の拡大・国交樹立などをすすめました。
しかしアメリカは、こうしたキューバの自主的な動きを認めることが出来ず、武器の供給禁止、キューバ糖の輸入割当停止でキューバに圧力をかけます。しかし人民の強い支持を受けて独裁政権を倒した革命政権は、組織された民兵軍とともに、こうした圧力に屈せず、主権を守り抜きます。これに対しアメリカはキューバが石油会社などの米系資産(米系銀行、工業の大企業)を国有化したことを受け、61年1月に国交を断絶、62年2月キューバへの貿易を禁止する経済封鎖政策を開始します。同年10月「キューバ危機」が発生しましたが、キューバ国民は強い決意で祖国防衛の意思を示し、ミサイルは撤去されました。
祖国の主権を守ったキューバは、鉱・工業、商業を全て国有化しました。70年代、80年代前半はこうした経済構造を基礎に堅実な経済発展を遂げました。しかしこの高度な国有化はアメリカの対キューバ干渉攻撃に対抗するための総動員体制のためにとられたもので、現実のキューバの生産力の水準からおこなわれたものではありませんでした。市場を軽視した過度の中央指令型経済は、経済の効率を欠く面があり、キューバ経済は80年代後半には停滞してしまいます。


ヘミングウェイ博物館で会った子どもたち。とても明るく、元気いっぱいでした


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大きく変わるキューバ

キューバ経済が80年代後半に停滞してしまった時、ソ連をはじめとする東欧諸国の旧体制の崩壊はキューバに大きな否定的影響を与えました。キューバ貿易の85%はソ連や東欧諸国だったからです。一夜にしてキューバ経済はGDPなどすべての数値が落ち込み、食糧もなくなりました。そういう問題に直面した時キューバに対して米国は経済封鎖をより一層強めました。その対策としてキューバ政府は、外資を獲得する必要から観光に力を入れ始め、2014年には300万人を超える観光客が来ました。日本ではたいした数ではありませんが、キューバ人口の約3分の1に当たります。
また93年より国内の経済改革も進めました。国営農場を解体して協同組合組織に再編する、自営業種の拡大、農産物・工業製品の自由市場化、市場機能が導入されて、それは経済活動の4分の1にまで及んでいます。現在、経済は89年の80%の水準にまで回復しましたが、依然として、外貨不足、企業の経済生産効率、農業生産の停滞などの問題を抱えています。
多くの国民が貧困にあえぎ、教育も満足に受けられず、医療の恩恵に浴することも出来ず、人種差別に泣き、失業に苦しみ、女性は男性より劣るものとされていた革命前の状態から、現在のキューバは大きく変わっています。革命勝利から45年、経済的困難を抱えながらも、人間味豊かなキューバ社会は、他のラテンアメリカの国々の現状と比較して際立った違いを見せています。そしてそれらの国々の大きな励みともなっています。
次回からは、私の見たそんなキューバ人の姿をお伝えします。

写真説明:ヘミングウェイ博物館で会った子どもたち。とても明るく、元気いっぱいでした

5CUC(外貨表示商品を買うことが出来る交換ペソ)

コメと豆のキューバ人の主食(肉や野菜が載っているのは観光客用)

ラム酒・ジュース・砂糖で作るカクテル。キューバの代表的アルコール飲料美味しいです。

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キューバ人の生計ーえ?わずか月20ドル

キューバ人の平均賃金は月480CUP(約21ドル)です。え?わずか月20ドル?と思いましたが、詳しく聞いてみると、賃金に給付金(社会保障・年金・各種補助金)が入っていなのでそれを加え、さらにアルバイト(正式には認められていない)などの収入をプラスすると月120ドルは超えるので、絶対貧困ではないと思います。しかしひとり1ドル程度の食料品が配給されますが、消費の40%〜50%しかカバー出来ていません。農産物の自由市場で買うとしても、その価格は配給の5〜6倍はします。2重通貨(CUP=キューバペソ、CUC=交換ペソ)の問題もあり、愉快にサルサを踊っている人々を表面から見るだけではわかりませんが、内実は結構大変な生活です。配給所で並んでいたSさんは「国交正常化交渉で、少しでも生活が楽になればと期待しているけれど。食べるものはコメとフリホーレス(豆)ばかりで、うんざり。」と言っていました。
 ただしオバマ大統領の経済封鎖解除の考えは、キューバの体制転換という“目的は正しかったが、やり方がまずかった”というものです。今後は、キューバの人的交流や経済関係を広げ、キューバ国民による内部からの変革を促すと公言しています。革命勝利から45年、経済的困難を抱えながらも、教育と医療の無償をはじめ人間味豊かなキューバ社会を作り上げているキューバ国民は人権意識が大変強いので、キューバ国民によるキューバ国民のためのキューバをさらに強く作り上げていくと確信しています。

写真説明:

お金: 5CUC(外貨表示商品を買うことが出来る交換ペソ)
食事: コメと豆のキューバ人の主食(肉や野菜が載っているのは観光客用)
ダイキリ: ラム酒・ジュース・砂糖で作るカクテル。キューバの代表的アルコール飲料美味しいです。

元気な歌声で私たちを迎えてくれた老人ホームの皆さん。この中に100歳以上の方もおられます



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キューバの老人ホーム事情

私たちが訪問したのはハバナ市内の施設でした。皆さん元気に合唱をして迎えてくださいました。私たちも即席合奏団として数曲披露、その後懇談をしました。皆さんとても伸び伸びとしていておおらかで、ここが安心して暮らせる安らぎの場であることが、雰囲気ですぐに感じられました。
キューバの高齢化率(60歳以上の人口比)は15%で、日本(27%)と同じ高齢化社会に入っています。しかしキューバ憲法50条ですべての国民が無償で医療を受けることが出来る権利を持っているので、老人を手厚く支える社会になっています。年金は月額1000円、老人ホームの月料金は200円。Sさんが11年間に老人ホームに支払った費用は26000円だけです(町で売られている輸入菓子は500円する)。65歳以上なら、年金受給者で一人暮らしか要介護者ならだれでも入所出来るとのことです。看護婦は24時間常駐し、医師の往診も2日に1回はあります。キューバは一人のカルテを全ての医療機関が共有しているので、素早く医療措置をすることが出来ます。仕事をしながらホームに入ることも出来ます。老人ホームでは個人の行動は自由で、「夕食の6時までに帰ること」がホームのルールです。また入所者が、入院するなど、部屋を空けることがあっても、常にその入所者のためのベッドは確保されています。
日中のデイ・ケアもあります。利用料金は1か月につき125円。65歳以上なら誰でも利用できます。その為利用者の大半は元気な老人です。洗濯、入浴、食事の他に様々なリクリエーションがあるので、家族の負担が軽減されています。日本のような介護保険制度は存在せず、元気な老人が障害を持った老人を手助けしています。
参照:テレビ朝日(2008年3月10放送、「幸せの指標 世界が注目するキューバの医療」

写真説明:元気な歌声で私たちを迎えてくれた老人ホームの皆さん。この中に100歳以上の方もおられます

40歳ころのヘミングウエイとその妻マーサ

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Ernest Hemingway in Cuba

写真説明:40歳ころのヘミングウエイとその妻マーサ

皆さんご存知の米国の文豪アーネスト・ヘミングウエイは1899年にシカゴ郊外で生まれました。そして1939年から晩年に至る21年間をキューバの小さな漁村コヒマルで暮らしました。どこまでも広がる青い海と空が広がる静かなところでした。『老人と海』の舞台にもなったところです。3回目の結婚をした妻とラ・ビヒーア邸で、酒と釣りと執筆三味の生活をしたようです。今はその邸宅はキューバ政府に寄贈され、ヘミングウエイ博物館として一部は一般公開されています。蔵書、書斎、タイプライラー、写真、手紙、動物のはく製などが保管されています。周りは静かな茂みに囲まれ、プールや図書館もあります。
コヒマルの近くにラ・テラサというレストランがあります。このレストランの左奥がかつてのヘミングウエイの指定席でした。その席の窓から海を眺めてみましたが、絶景でした。今にも老人が大カジキマグロを釣り上げて帰ってくる感じがしてしばらく時を忘れました。
カストロも優勝したことがある有名な釣り大会「ヘミングウエイカップ」もここが舞台です。カストロとヘミングウエイが大きく映った写真が何枚も飾ってあります。
 港に面して小さな要塞があり、その脇の公園には村民たちが建てたヘミングウエイの胸像が海風を受けて立っています。


写真説明:海が見渡せるヘミングウエイの指定席


海が見渡せるヘミングウエイの指定席


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